蒼井波恵の人生イロイロブログ

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母を自宅で看取ったこと2

入院生活のはじまり

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 元気だった母が 突然 脳梗塞で救急搬送されました。昨年の2月末のことでした。

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脳梗塞をおこしたものの ふつうに話をしたり、食事をしたりしている母を見て ほっとしました。

お医者さんの説明では、後頭部から首につながる血管が狭窄して血液の流れが滞っているとのこと。

お薬で血液をサラサラいしているので 状態はよくはなっているが、いつまた詰まってしまうかはわからないので 手術をすすめられました。

母は79歳。 

手術をするには 体に負担がかかる年齢です。

でも またいつ詰まってしまうかと びくびくしながら生活をしていくのも。。。

考えていると 頭がグルグルして 胸が苦しくなりました。

 

母は 日本のよき母代表のような人でした。

昭和の高度成長期 家をしっかりと守り、姑の面倒をひとりで見て。

やさしくて おおらかな母でしたが 凜としたシンの強さも 持っていました。

私は思春期には 母のことをウザいな と思ったりもして かなり反抗しました。

そんなときも 親という字のごとく 木の上に立って いつも私のことを見守ってくれた母でした。

単に マンションの窓から 動向を見張られていた。。。とも 言いますが 笑

いつも 家を守ってくれた母は 私が親になったあとも いつも助けてくれました。

子育てのなやみや いらだちも 母がいたから 乗り越えることができました。

昨今 我が子を虐待するニュースを目にすることが多いですが、

もしも母がいなかったら 私も同じようなことを してしまったかもしれないと

ゾッとすることも あります。

孫たちを ほんとうに 心から愛し、可愛がってくれました。

なので 孫たちも 母のことが大好きでした。

時間をみつけては 高校生、大学生、社会人の孫と 姉と私 が入れ替わり立ち替わりに 毎日 母のお見舞いに通ったものでした。

病院の同室の皆さんに「いつも いいわねー」と言われて、嬉しそうにほほえむ母の笑顔を思い出します。

 

はじめは「手術はしない」と言った母でしたが、

「手術をして 元気になるのであれば。。。家で留守番くらいできるから、まだ少しは みんなの役にたてるよね」と気持ちが少しづつ変化していきました。

私の娘は 成人式をひかえていました。

母が 私に買ってくれた振り袖を 娘が着てくれる予定だったので 

私も もちろん楽しみでしたが、母もとても楽しみにしてくれていました。

息子は 高校3年生になり、どこの大学に行くのかな?と 心配してくれていました。

まだまだ 孫たちの未来を 一緒に見届けたかったに違いありません。

 

母は決断しました。手術を受けて元気になる!

じゃあ、母の決断を みんなで一致団結して サポートしていかなければ。

まずは リハビリで体力を取り戻し、手術を受けたら家に帰って ひとりで留守番できるくらいにならないと。。。

グルグルしてる場合じゃないぞ!と自分にも言い聞かせ 前を向きはじめました。

 

一緒にリハビリをしていて ショックなことが たくさんありました。

リハビリ室に三角コーン あの工事中に置いてあるやつです を4つぐらい一緒に置い歩きます。

難しい場所に置くわけでもなく すぐ見えるところに置くのですが、

ひとまわりして 今度は回収しようとすると、どこに置いたかわからないと言うのです。すぐ そこに見えるのに。。。

いろいろな色のビー玉の中から 青いビー玉を取り出して と言われても

青いビー玉が見分けられないようなのです。

時計はよめなくなり、携帯電話も 操作できなくなっていました。

 

一番不安に感じたのは 食事が だんだんとれなくなっている気がしてなりませんでした。

つらそうに ご飯を食べて、ときどき吐き戻しそうになるのです。

脳梗塞って 食欲もなくなるものなのかな?

 

どんなに グルグルを取り払おうとしても グルグルが払いきれない日々が続いていました。

 

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